ヨス家の子育て物語

~子を育て、子に育てられ、親になってゆく~

小説・キズナの詩(後編)

 ヨスが書いた親子系ジャンルの小説をアップロードしてみます。今回は後編になります。お暇な方は見てやってください。

 

前編はこちら⇒キズナの詩(前編)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ギターの神様が愛用したギター。それを生で見られるとなれば、興奮するのも仕方ない。今日のあたしときたら、授業中に一回も睡魔が襲ってこなかったほどだ。

 

「晴子おばあちゃん、こんにちわっ」

 

 あたしは店に到着するや否や、ワクワクドキドキの勢いを隠そうともせず話しかけた。

 

「……」

 

 返事がない。晴子おばあちゃんは窓際で、どこか遠くを眺めたまま動かない。

 

「……ねえ陽子、おばあちゃんってば、どうかしたの? 調子が悪いの?」

「きずなもそう思うんだ。……おばあちゃん、ここ二日ぐらい元気がないんだよ」

 

 陽子の囁くような声には、心配そうな色が伺える。

 

「どうしよう。やっぱり身体の調子が悪いのかな。でも、おばーちゃんは大丈夫って言うし」

「晴子おばあちゃん」

 

 あたしは歩み寄って、そっと話しかけてみた。ようやく振り返ってくれた晴子おばあちゃんは、弱々しく微笑んだ。

 

「具合が悪いなら、横になったほうがいいんじゃない?」

「身体の調子はいつもと変わらないんだけどねえ」

「どうしたの? 何があったの?」

「別になにもないよ。心配してくれてありがとうねえ。そういえばお隣さんから貰った、芋ヨウカンがあるんだった。みんなで一緒に食べようかねえ」

 

 何もない人が、どうしてそんなに寂しい笑顔を浮かべられようか。

 

 誤魔化してどこかへ行こうとする晴子おばあちゃんの肩を、あたしはがしりと押さえつける。晴子おばあちゃんは、ハッとして振り返った。

 

 反射的に思わず掴んでしまった。もしかしたら、余計なお世話かもしれない。でも、たとえそうだとしても、いつもお世話になってる晴子おばあちゃんが悩んでいるなら、何かしてあげたかった。

 

 あたしは瞬きをすることも忘れ、ジッと晴子おばあちゃんを眺めた。すると、

 

「私もきずなちゃんみたいにして、あの人を引き止めてあげるべきだったのかもねえ」

 

 晴子おばあちゃんはぽつりと呟いた。

 

 

          ☆ ☆ ☆

 

 部屋の中央にあるテーブルをあたしら三人は囲う。お茶を入れたばかりの湯飲みからは、ほわほわと湯気が立ち上る。

 

「おとといのことだねえ。偶然にもあの時の若者が尋ねてきてねえ」

 

 晴子おばあちゃんがお茶をすする。まだ熱いだろうに息を吹きかけて冷ます様子はない。

 

「私はさすがに驚いた。彼も驚いていた。若者はずいぶんと年を重ねてたけど、昔の面影があったから私はすぐにわかった。目の輝きが若い頃と変わらないようだったからねえ。相手も私のことに、すぐ気づいたようだった」

 

 あたしは正座をして、膝元に手を乗せたまま聞き入った。陽子は芋ヨウカン好きのはずだけど、彼女も今だけは手をつけなかった。

 

「私はね、尋ねたんだよ。今もあの時願った夢を追い続けてるんですか、とね」

 

 夢。つまりミュージシャンのことだろう。

 

 路上でギターを弾くぐらいの人物なのだ。予想はできる。しかしミュージシャンになれるのは選ばれた一握りの人間のみ。もしかしたら相手はすでに諦めていて、それを晴子おばあちゃんは聞かされたのだろうか?

 

「それで相手はなんて言ったの? 挫折しちゃったとか?」

 

 すると晴子おばあちゃんは頭を横へ振り、一言。

 

「あの人は土下座してこう言った。『別に夢が出来た』と。『叶えるためにお金が必要だ。だからギターを買い取って欲しい』と」

 

 言っている意味がすぐにはわからなかった。

 

「昔、譲ったギターを、買い取って欲しいって……。なにそれっ! その人、頭がおかしいんじゃないの!? それで、もちろん晴子おばあちゃんは断ったんだよね?」

「いや、買い取らせてもらったねえ」

「どうしてっ! なんで買い取るの!」

「きずな! おちついてっ!」

 

 反射的な怒りに身を任せたあたしを、陽子がなだめてくれる。

 

 新しい夢を追いかけるためのお金が欲しい? 

 

 あたしがその場にいたら、思いっきり相手を殴ってやったのに。新しい夢とやらは、晴子おばあちゃんが託した思いを踏みにじってまで、叶えたいものなのかと問い詰めてやったのに。

 

「おばあちゃんもおばあちゃんだよっ! もっと怒ればいいのに」

「きずなちゃんが代わりに怒ってくれたから、それで私は十分だよ」

「晴子おばあちゃん……」

「長年生きてると色々あるからねえ」

 

 晴子おばあちゃんはわずかに頬をあげて微笑み、

 

「それよりも、なにがあったのか聞けなかったことが心残りでねえ」

 

 この人は、本当にお人よしだ。相手を恨むどころか、心配ばかりしている。悲しいはずの晴子おばあちゃんがこんなにも気丈に振舞うなら、あたしがこれ以上、あれこれ言うべきじゃないかもしれない。

 

「一つ安心したのは、あの人が決して音楽を嫌いになったわけじゃないってことだねえ」

 

 そう言うと晴子おばあちゃんは店内へと向かって、一台のギターケースを運んできた。ケースからギターを取り出し、我が子を慈しむように撫でる。

 

「手入れが行き届いたこの子を見れば、それがわかる」

「……えっ?」

 

 あたしは唖然とした。

 そのギターは年代物だが、大事にされていた輝きがある。でも、そこは問題じゃない。

 見たことがあるそのギター。雑誌で見かけたとかそういうレベルじゃなくて、それこそ毎日を共に過ごした見慣れたギター。あたしの家族も同然のそのギターは、

 

「それって、親父のギター……」

 

 頭の中が真っ白になっていく。

 

 

          

 

          ☆ ☆ ☆ 

 

 

「おう、きずな。おかえりー」

 

 珍しく早い帰宅をしていたらしい親父は新聞を読んでいた。そのすぐ側を、あたしは床を踏み抜かん勢いで通り過ぎる。目指すは部屋の隅においてあるギターケースだ。

 目を凝らせば普段のギターケースと若干違う。開けてみれば、そこにあるのは見慣れない傷だらけのギターだった。

 

「……このギターはなに? いつものギターはどこ?」

 

 怒鳴りたい気持ちをどうにか押さえ込む。それでも青白い炎があたしの中で燃えている。

 

「あー、それはだな。なんつーか、その……、ちょっと友達に貸したんだ」

「嘘つき……」

 

 頭をかきながら誤魔化すようにして笑う親父を、きつく睨み付ける。

 炎の色が静かな青色から灼熱の赤へと切り替わる。何か理由があると思った。尋ねれば誤魔化さないで話してくれると信じてた。でも、親父は隠そうとする。

 嘘をついてまで。

 嘘つき……、嘘つき……、嘘つき……、嘘つき……、嘘つき……、嘘つき……。

 

「嘘つきっ!」

 

 あたしの剣幕に押されたのか、いつものように親父は騒ぎ立てない。

 

「ギター……。貸したんじゃなくて、売ったんでしょ」

 

 親父の身体がびくりと跳ねた。

 

「親父の夢はミュージシャンだったんでしょ? 昔から憧れてたんでしょ? あたし、親父の歌声も、あのギターの音色も大好きで……。頑張ればいつか夢は叶うって思う。親父なら叶えられるって思う。なのに、どうして……。どうして、ギターを売ったの!」

「確かに昔はミュージシャンになるのが一番の夢だった。でも、今は――」

「もう、知ってるよ」あたしは親父の言葉を反射的にさえぎる。

「他に夢が出来たんだよね。叶えるためにお金が必要なんだよね。だから売ったんだ」

「それは――」

「他の夢が出来たからって、ミュージシャンになりたいって思いは、そんなに簡単に諦められる程度のものだったんだ!」

「きずなっ、違うんだ。俺は――」

「うるさい、黙れ! 聞きたくないっ!」

 

 耳をふさいで、嫌だ嫌だと親父の声を拒絶する。

 どんな言い訳も聞きたくない。

 

 親父が好きだった。めんどくさがりやで、世話のかかる親父だけど好きだった。ギターを楽しそうに弾いてる親父が好きだった。

 あたしらは世界で二人だけの家族じゃないか。もしも本当にやりたいことがあるなら相談してくれればいいのに。ギターを売るっていうのも一言あればよかったのに。

 

 でも、親父はあたしを裏切った。

 

 自分だけで決めてしまった。

 

 きっと母さんがいたら相談していただろうに、あたしには相談してくれない。

 

 それは家族としてのつながりを否定されたようで。

 

 ああでも、あたしだって親父に言えないことはあるなと思いつつ、伝えて欲しかったとも思うわけで。

 

 様々な色が塗られたキャンバスのように、感情がごちゃまぜになる。

 

 理屈としては理解出来ても、受け入れられないこの葛藤。

 

 でもあたしは怒らずにはいられない。一度導火線についた火は、そう簡単に消せない。

 

「俺は――、俺はっ――」

 

 親父が詰め寄ってきて両肩を掴んでくる。

 瞬間。

 あたしの混乱した思考は爆発した。

 

「触らないでっ! クソ親父なんて大嫌いっ!」

 

 あたしは拳を振るった。手加減という言葉を忘れ、怒りに身を任せ、親父の右頬へとおもいっきり右ストレートを叩き込んだ。

 

 親父はよける暇もなく、ひっくり返った。

 

 右手が痛かった。それ以上に心が痛かった。

 

「……勝手にしやがれ

 

 ひどく傷ついた表情でぼそりと呟く親父を前にして、あたしはハッとする。

 

 今、あたしは何をした? 

 

 いくらなんでもやりすぎだ。

 

 一瞬にして、頭の芯が冷えていく。

 

 ごめんなさいと言わなきゃ! 言わなきゃいけないのにっ!

 

 親父は勢いよく立ちあがり、玄関から外へと飛び出して行く。あたしが咄嗟に伸ばした手は空を切った。

 

 たった六文字の謝罪の言葉は、親父に届かない。

 

 

          ☆ ☆ ☆ 

 

 次の日。あたしが起きてリビングへ向かうと、親父の姿はなかった。

 

 もう仕事へ行ったのかと思っていると、玄関の扉がきしみながら開かれる。

 

 そこにいたのは親父だった。もしかすると一晩中どこかをさまよっていたのだろうか。

 

 視線を合わせることもない。お互い口を開こうともしない。昔、喧嘩したときよりも空気が張り詰めていて、居たたまれなくて、あたしはすれ違うようにして家から出た。

 

 閉じられた玄関のドアに背を預けた。優しく包み込んでくれる陽光に身を任せながらふと思う。

 

 おかえりって言えてれば、行ってきますって言えてれば、話すきっかけになったのに。

 

 不協和音が平林家を包み込む。それはチューニングされてないギターみたいに嫌な感じだった。

 

 

          ☆  ☆  ☆

 

 

「――な」

「……」

「きずなってばっ!」

「んー、なーに?」

「なーにーじゃないよう! さっきから話し聞いてないでしょ?」

「あー、ごめんねー」

「……どうしたの?」

 

 昼休み。いつもの明るい笑顔はどこへやら。表情を曇らせた陽子が、クリームパンを食べるのをやめて、不安そうにしていた。

 

 親父との喧嘩を思い出して気が沈み、陽子を心配させてしまうあたしがいることで自己嫌悪。思考の天秤は悪いほうへと傾いていく。

 

「なにかあったの?」

「なんもないってば」

「……そっか。なんだかよくわからないけど、あんまり一人で抱え込まないでね。話したくなったらでいいから相談してよ。私ってばとろくて頼りないかもしれないけど、話を聞くぐらいはできるからね」

 

 陽子があたしの手をぎゅっと包み込んでくれる。彼女の手はとっても温かい。

 

「陽子は優しいね」

 

 ありがとうって気持ちをこめて、手を握り返す。

 

 親父との喧嘩。謝りたい気持ちと、「なんで?」という疑問の気持ちが今でも混ざり合っている。正直、どうしていいのかわからない。

 

 相談か。母親が死んでからそんなことをした記憶はないけれど、時には誰かに甘えてもいいのだろうか?

 

「実はあたし――」

 

 陽子に話してみようかなと口を開きかけた瞬間、

 

「平林っ! いるかっ!」

 

 教室の扉が乱暴に開け放たれる。一瞬、親父か飛び込んで来たのかと期待したけど、そこにいたのは担任の教師だ。どういうわけか、彼の表情に焦りの色が鮮明に浮かんでいる。

 

 どうしてだろう。心臓がつぶれそうなぐらい、嫌な予感がした。

 

 担任教師はあたしへ向かって一直線に歩み寄ってくると、

 

「落ちついて聞くんだぞ」教師は唾を飲み込み、「お前の父親が事故にあったそうだ」

 

 

          ☆ ☆ ☆ 

 

 ランプが点灯中の手術室の前に立ち尽くす。この扉を開ければ親父がいる。

 

 手の震えが止まらない。そんな腕であたしは自分の身体を力いっぱい抱きしめる。冬でもないのに寒気を感じた。

 

「きずな、向こうの椅子に座ろうよ」

「いい……。あたしは、ここで待つ」

「でも、少し休まないと辛いんじゃ――」

「ここにいる」

 

 学校を早退して病院へ急行したあたしに付き添ってくれた陽子。担任教師も来たはずなのだが、今は姿が見えない。

 

 親父は勤務先へ向かう途中で、事故に巻き込まれたとのことだった。車に轢かれそうになった他人を、我が身の保身など考えず助けにいった結果とのことだ。轢いた運転手には土下座して謝罪された。親父が助けた人間からは、涙しながら感謝された。

 

 どっちの対応をした時も、あたしはほとんど話を聞いちゃいなかった。

 

 あたしは知っている。母親の死を。

 あたしは知っている。家族を失う悲しみを。

 親父が死んでしまうかもしれない。

 気持ち悪い。頭が痛い。心が押しつぶされる。

 

「どうしよう、陽子。親父がいなくなったらどうしようっ! あたし、一人になっちゃうよ」

「きずな……」

 

 陽子はそれ以上何も言わず、あたしの身体をぎゅっと抱きしめてくれた。

 やがて手術中のランプは消え、扉がゆっくりと開け放たれる。手術を担当したであろう医師が、沈痛な面持ちで現れた。

 

「残念ながら――」

 

 

          ☆ ☆ ☆

 

 

 白い枕に頭をうずめた親父が病室のベッド上で横たわっている。

 

 病院の個室から見える病院の中庭。広がる曇天。雨露が木々を濡らしている。

 

 親父の意思とは無関係に、点滴やら心拍を管理する装置を繋がれるその姿はもの悲しい。

 

 親父のベッドのすぐ脇に椅子を置いて、あたしは親父の手を握り続けた。

 

 手は少し冷たかった。

 

「……親父」

 

 返事はなかった。

 

 親父は一命こそ取り留めたけれど、まぶたを開くことはなかった。

 

 意識不明。もしかすると永遠に目を覚まさないかも。医者はそんな風に言っていた。

 

 

          ☆ ☆ ☆

 

 

 それから一週間、あたしは毎日、病院へと通い続けた。学校には行かず、病院の面会時間をずっと親父の手を握り続けることで過ごした。

 

 さすがに陽子を巻き込むわけには行かず、彼女は登校している。学校が終わった後は病院へと顔を見せてくれる。帰るときは自宅へとついてきてくれて夕食まで作ってくれる。陽子の作ってくれるご飯はおいしくて、やっぱりいいお嫁さんになりそうだなあって思う。

 

「きずな、ご飯出来たよ。一緒に食べよ」

「お腹減ってないから後でいい」

「ダメだって。そう言って、この前だって食べなかったでしょ」

 

 陽子は物怖じせずにあたしの背を押して、食卓まで誘導してくれる。彼女の優しさが嬉しくあり、同時に疎ましくも感じられる瞬間だ。

 

「いただきまーす」

「いただきます……」

 

 ノロノロと箸へ手を伸ばす。

 

 肉じゃがをつまみながらふと考える。あたしってばこんなに弱い人間だったっけ、と。平林家で振りまいていた明るい自分は嘘だったのか、と。

 

 それは違う。あの時のあたしは確かに存在した。無理をして明るく振舞ってもいない。

 

 ただあの時のあたしは、親父という支えがあってこそのあたしだった。

 

 その親父が手の届かないところへ行ってしまうかもしれない。

 

 そう思うだけで、涙がとめどなく溢れる。

 

「きずな……。あの、その……、その肉じゃが美味しくなかった?」

「ううん、美味しいよ」

 

 ちょっとばかり塩味が効きすぎてるけど。

 

 ティッシュで鼻をかみ、ゴミ箱へと捨てる。ゴミ箱は丸めたティッシュの山であふれかえっていた。そういえば、親父が倒れたあの日から家のことは何もしてなかったっけ。

 

 陽子もちり紙のことが気になったのだろう。食事中だけどゴミ箱へと手を伸ばし、片付けようと抱え込んで移動を始めたところで、

 

 すてんっ! 何もないところで転んでしまった。

 

「あたたたた」

「ちょっと、大丈夫?」

 

 赤らんだ鼻をさする陽子。あたしが他人を気にかけるなんて一週間ぶりだ。

 散らかったゴミ屑にあたしは手を伸ばす。そのほとんどはやっぱりちり紙だった。

 

「……なにこれ?」

 

 ちり紙とは別に、メモ用紙がぐちゃぐちゃに握りつぶされたものが何枚もあった。

 あたしはメモ用紙を掴む。何気なく広げてみるとそこには、

 

「えっ?」

 

 目を疑った。それは確かに親父の汚い字だった。それよりもこの文章は一体なんだろう?

 

 鉛筆で書かれた文字は、さらに鉛筆で塗りつぶしてあるから、ちょっと読みにくい。

 

 別のメモ用紙を広げる。他のメモ用紙を広げる。またメモ用紙を広げる。

 

 ――お前は医者の夢を追い続けろ。

 ――俺が支え続けるから。

 ――お前の幸福を、俺はいつだって願ってる。

 

 どのメモ用紙にも親父の字が乱雑に書きなぐられている。どこか詩的な一文一文が、時に丸をされ、ほとんどはバッテンをつけられている。

 

 そして最後の一枚には。

 

 ――お前の笑顔が、俺にとっての幸せだ。

 

 メモ用紙を持つ右手が小刻みに震える。

 これは歌詞の一文だ。誰に向けられたものか、何を思って書きつづったのか確認するまでもない。でも、あたしの本当の夢をどうして親父が知っていたのだろう。

 

「もしかして」

 

 あたしは、ハッとして部屋へと駆け込む。本棚の右隅を覗き込んで確信する。

 

 いつかそこへと詰め込んだはずの大学の資料。あれから一切触れてなかった大学の資料。

 

 よくよく確認すれば、詰め込み方が妙に雑となっていた。

 

 それはあたし以外の誰かが触った証だ。

 

 呆然としてあたしはその場に膝を着く。

 

 なんのために愛したギターを売ったのか。その夢に興味はなかった。だから深く考えなかった。

 

 でも、その答えを見つけてしまった。

 

「きずな……」

「陽子。あたし……、親父に酷いこと言ったんだ」

 

 後をついてきてくれた陽子に向かって呟く。

 バカなのはあたしだった。なんにもわかっちゃいなかった。

 あたしが夢を叶えること。それこそが親父の夢だった。

 

「あたしが悪いんだ」

「きずな、そんなに自分を責めないで」

「あたしが間違ってた。大事だったのに……、大好きだったのに……、どうしてあたしは……、あたしはっ!」

 

 大嫌いなんて言ってしまったんだろうか。

 

 後悔が心を侵食していく。

 

 救いようのない、あたしという人間。

 

 謝りたいよ。でも、言葉は届かない。

 

「きずな」

 

 陽子はゆっくりと、あたしを抱きしめた。それはとってもやわらかな抱擁で。

 

「人は誰だって、間違いをいっぱい背負って生きていくんだよ」

 

 陽子のぬくもりは、陽だまりのような温かさで。

 

「他人を傷つけちゃったり、自分を傷つけちゃったり……。失敗して、つまずいて……。立ち止まってもいいんだよ。休んだっていいんだよ。間違ったっていいんだよ」

 

 陽子は両腕をあたしの背中に回した。

 

「ひどいこと言っちゃったって思うなら、ごめんなさいでいいんだよ」

「でも、親父はあんなになっちゃって……、もう言葉は……」

「お父さんは返事が出来ないだけだよ。きずなの心からの言葉は、きっと届くよ。だから話しかけてあげて。きずなが諦めなければきっと、お父さんは帰ってきてくれるよ」

「心からの、言葉……」

 

 今まで、何回話しかけても身動き一つなかった。話しかけるだけで親父が帰ってくるなんて、ありえないと思ってしまうあたしがいる。

 

 でも、はたして、あたしは本気で思いを伝えようとしていただろうか。

 

 魂の叫びを言葉にしてただろうか。

 

 今、思うのは、あたしの中にある思いを親父に届けたいということ。

 

「あたし、もっともっと一生懸命に話しかけてみる」

「うん。じゃあ明日一緒に病院へ――」

「今から病院へ行ってくる」

「い、今から!? だってもう面会時間は過ぎて――きずなっ!」

 

 陽子の制止の声を振り切って、あたしはギターケースを掴み取り、病院へと駆ける。

 

 

          ☆ ☆ ☆ 

 

 後先考えずに病院の敷地内へと飛び込んで、看護士に見つかり、警備員にはライトを向けられる。それでもあたしは止まらない。

 

 静まり返った夜の病院を全力で駆け抜け、あたしは親父が眠る病室へと飛び込んだ。

 

 しばらくすると廊下の方からあわただしい足音や声が聞こえるようになったが、いくつもある病室の中から、あたしをすぐに見つけるのは無理だろう。

 

 親父の手を強く握る。

 

 気持ちを伝えようと口を開きかけて、でも上手く言葉に出来ない葛藤がある。

 

 そんな時、ふと脳裏によぎる言葉があった。

 

 

 

 ――誰かに思いを伝えたいという気持さえあれば、音楽の力に限界はない。

 

 

 

 ギターの神様の残した言葉だ。

 

 あたしはギターを取り出した。ただ話しかけるだけではダメな気がした。本気で気持ちを伝えるなら、あたしが全力の叫びを親父に届けるには、親父とあたしをつないでくれた音楽こそが必要だと思った。

 

 技術もくそもない、感情任せに弦を弾く。ただかき鳴らす。

 

 あたしには世界の誰かに何かを伝えるような、そんな大層な音楽は出来ない。

 

 それでも。

 

 たった一人の大切な人に、伝えたい気持ちならある。

 

 道に迷って、ようやく答えにたどりついたよ。

 信じなきゃいけないものがあった。

 失っちゃいけないものがあった。

 大事なものはすぐそこにあった。

 あたしにとって かけがえのないぬくもりはすぐ側にあったんだ。

 思い浮かぶのは親父と過ごした記憶。

 頭をなでてくれる親父の手はとっても大きかった。

 小さい頃に繋いだ手は温かかった。

 あたしが大きくなって手を繋がなくなっても、心の中で手を引いてくれていたんだね。

 いなくなって、はじめて気づくことができたんだ。

 側にいてくれるから幸せだった。

 喧嘩できるから幸せだった。

 一緒に笑えるから幸せだった。

 それは他の誰でもない 親父だけがくれるぬくもりだったんだ。

 

 

 あたしは歌った。歌というよりも感情の吐露だった。

 

 思いを言葉にするのは難しくて、たぶん言ってることは無茶苦茶だったろう。

 

 それでもあたしは歌い続ける。

 

「ごめんなさい。大嫌いなんて嘘だよ。あたしにとって親父は……、親父はっ――」

 

 顔が涙でぐちゃぐちゃになっても構うことなく、あたしは微笑みながら、

 

「かけがえのない人なんだ」

 

 全力で、心の底から、魂の詩を歌った。

 

 

          ☆ ☆ ☆

 

 

 

 あたしがやったことといえば、自分の気持ちを大声で暴露しただけ。

 

 結局、あたしが歌っても親父が目覚めるなんてことはなかった。

 

 そりゃそうだ。歌うだけで意識が戻るなら、医者が歌えばいいのだから。

 

 奇跡。そんな都合のいいものが起きるわけもなく。

 

「何をしているんだっ!」

 

 騒ぎを聞きつけた警備員がやってくるのにそれほど時間は必要なかった。手首をつかまれてしまえば演奏はもう出来ない。

 

 あたしはギターを親父のベッドの脇へと立てかける。

 

 抵抗する気はなかったから警備員の腕を振り払わない。夜にこれだけの騒ぎを起こせば当然の報いだ。

 

 あたしは警備員に引きずられるようにして、病室を後にしかけて――。

 

 みょ~ん。

 

 いつか昔、聞いたことのある間抜けなギター音が病室に響いた。

 

 みょ~ん、みょ~ん、みょ~ん。

 

 それは気が抜けるような音で。リズムとしてもなっちゃいなくて。

 

 あたしではない。警備員でもない。だとすればその音を出すのは一人しかいない。

 

 警備員の腕を振り払い、ベッドへと駆け寄る。

 

「……親父?」

 

 布団の中から伸びた手が、立てかけられたギターの弦へと触れている。

 

「下手くそな歌だなあ……」

 

 弱々しい声。でも、なによりも聞きたかった声。

 

「だけど……最高だったぜ」

 

 そう言って、親父は頬をわずかに上げて笑った。

 

 気持ちを抑えきれず、あたしは親父の胸元へと飛び込んだ。

 

「おかえり、親父」

 

 ぬくもりは、確かにそこにあった。

 

 

          ☆  ☆  ☆

 

 

 日曜日の朝八時の出来事。

 

「紙の無駄使いをするなっ! ほら、これも、こっちも、まだまだ裏に書けるでしょ!」

 

「うっせーな。そんなにケチケチしないで、ノートを買えば良いじゃねえか」

 

「節約できるところは節約するの! ノート代だってバカに出来ないんだからっ!」

 

 横になってくつろぎモードに入ってる親父がいる。

 

 右手に赤本を持ち仁王立ちをとるあたしがいる。

 

 退院したばかりの親父は、随分体調が回復したらしく顔色がいい。いつものように、かなーり適当な言動が目立つ。

 

「へいへい。わーったよ。今度から気をつけるって」

 

 そんな謝り方をする親父を前にして、あたしはやれやれとため息をついた。こいつは反省してないな。もう一度やったらこの赤本の角で叩いてあげるとしよう。そんなことを思う。

 

 ぴんぽーん。来客を知らせるチャイムが鳴った。

 

「きずなー?」

 

 どこか心を落ち着かせる間延びした声。陽子が迎えに来たのだ。

 

「じゃあ、あたし、図書館に行ってくるからね」

 

「図書館? 何しに行くんだ?」

 

「そりゃあもちろん――」

 

「図書館といえば本だな? 色々な本がある。つまりエロ本も読み放題に違いな――いや待て俺が悪かったから殺傷力抜群の分厚い本を投げようとするなっ!」

 

「勉強に決まってるでしょうがっ!」

 

 ご近所様に迷惑なほど、ぎゃあぎゃあと賑やかに騒ぎたてるあたしと親父。

 

 天国にいる母さん、聞こえますか?

 今日も平林家は幸せに満ちあふれてるよ。

 

 

~Fin~

 

 

 拙作を最後まで読んでいただいた方、ありがとうございました。

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