第5話「愛の代わりに芽生えるもの」
新婚生活の時のようなアツアツな気持ち……今でも持てていますか?
愛というのは3年から4年しかもたないといわれている。
脳内物質のドーパミン分泌の持続の問題であり、
脳科学的にも愛が薄れてくるという。
……なんとも夢のない話だ。
だけれど100歳までも生きられるようになりつつある時代に、
愛が3年しか続かないからそれ以上は一緒にいられない、
というわけにもいくまい。
3年というタイムリミット。
結婚すると相手の色んな一面をみることになる。
それは良い面ばかりではない。
自分にとって、「ええっ?」と思うようなことも、相手はしてくる。
それは完全に同じ価値観の人などいないのだから仕方のないことだ。
結婚してから3年以内ならアツアツホカホカな愛が
クッションになってくれて許せることもあるのだろう。
だけどあんまり頼り切ると、クッションもヘタってきてしまう。
3年というタイムリミット。
その間に何を育んでいくのかが、夫婦の行く末に大きく影響しそうだ。
3年を過ぎたヨス家は一応平和だ。
そこで個人的に大切だなあと感じたものをピックアップしてみた。
価値観の擦り合わせ
生きている限り価値観が出来あがっていくのは、誰でも同じだ。「こだわりがないからなんでもいいよ」という人もいるが、それは「こだわらない」という価値観を持っているのである。
夫婦になるとこの価値観の影響は大きい。
「こだわりがない人」と「なんでも詳細に決めたい人」
そんな真逆な2人が一緒に暮らせばどうなるか? 何かをするたびに相手の言動にストレスを感じることになる。
だけど一緒に過ごす以上は、どちらかの言う通りにするわけにもいかないわけで、お互いが相手のことを知る必要がある。もちろん完全に価値観が一致することはありえない。
すり合わせをして、相手がどんなことを好み、どんなことを嫌がるのか。譲れるところ、譲れないところを共有するのが大切だろう。
感謝を口にする
人間というのは学習して、慣れる生き物である。それは生きるためには必要な機能だが、夫婦間においてはちょいと厄介なところもある。それは相手がすることを当然と感じてしまうことだ。
仕事に行って稼いでくるのは当然のこと。
食事を作ってくれるのは当然。
いやいやいや……当然なことなんてないよ。それぞれが日々を頑張っているんだよ。
感性を鈍らせてはいけない。
ありがとう。その気持ちをちゃんと言葉にして伝えるべきだ。
適度な喧嘩
時々、うちは喧嘩しないんですよ~という言葉を聞く。ここで思うのは喧嘩が完全否定されるのはなんで? ということだ。
もちろんグーパンしちゃうような喧嘩、相手をおとしめて自分を高める口論はおすすめしない。
でも、適度な喧嘩は、立派な情報交換である。私はっ! ボクはっ! こう考えてんだ! と感情を最大限に乗っけて喋っているだけなのだ。
「うちは喧嘩をしない」という言葉の裏に、何かあればちゃんと話し合いの場を設けて相手の考えを知っている、という意味があれば非常に素敵なことである。
ただし、相手を傷つけたくないから言いたいことを我慢しているならば、ちょっと危険だ。溜まったものはいつか大噴火として爆発する。蓄積期間が長いほどに威力は強力だ。
ごめんなさいを伝える
子供に「ちゃんとごめんなさいしなさい!」というのはありふれた教育方法である。しかし、年齢を重ねるほどに謝罪の仕方が下手くそになっていくのは、なんとも矛盾した話ではなかろうか。
相手に悪いことをしたなと思ったら、謝罪の気持ちを伝える。そうすることでお互い心のモヤが晴れて、明日からまたスッキリした関係でいられるだろう。
3年という愛のタイムリミット
きっとその間にコツコツと信用を積み重ねることで、
アツアツの愛に変わって、
一緒にいるとホッとするような愛情が芽生えてくるんだろうなあ。
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