ヨス家の子育て物語

~子を育て、子に育てられ、親になってゆく~

第8話「褒める育児≠叱らない育児」

「うちは褒める育児をしているので、叱らないでください」

 

 褒めると叱るというものを、改めて考えるきっかけになったのは、

 ネットサーフィンをしていたら、そんな言葉が目に飛び込んできたからだ。

 

 世間では褒める育児というものが浸透してきている。

 嫁が妊娠する前からも、どこかで耳にしたことがあるぐらいだ。

 

 

「うちは褒める育児をしているので、叱らないでください」

 はてさて、ここで僕は疑問に思う。

 褒めると叱るって相反する行為なのかな?

 これを読んでいる皆さんはどう思うだろうか?

 

 ちなみに僕は「褒める」と「叱る」鍔迫り合いをするような関係ではないと思っている。

 

 子育てもしたことないのに、褒める育児についてわかるのか?

 そう問われれば、今の僕には子育ての経験がない。

 でも立場上、部下を育てたり、年の離れた若い学生を実習という状況で育てたりした経験はある。

 その際にも褒める/叱るというものを駆使せざるを得なかった。

 ある程度、成長しても褒める/叱るは必要であり、使い方によっては効果的である。

  そのあたりのことを思い出しながら書いてみようと思う。

 

 

褒めるということ

 

褒める公式

 

 とある行動にともなう結果に対して、良いね! と褒められることで得られるもの。

 それは進んでいる道が間違ってないんだという肯定感だろう。

 一つ一つはささやかなことでも、繰り返し認められることで、大きな自信につながっていく。

 

 肯定感が得られる⇒挑戦する⇒褒められる⇒肯定感が増す……⇒大きな自信を手に入れる

 

 つまり、褒めるスパイラルがきちんと機能すれば、自信を得られるということだ。

 まさに褒める育児で子供の自信をつけよう! という流れになるわけだ。

 この点についてはある程度は必要だよなあと僕も思う。

 

 

ありがとうで世界は変わる……かも?

 

 ちなみに褒めるというのが苦手という人は、感謝でもいいと思う。

 

「褒められる=行為を認めてもらう⇒肯定感が増す」

 

 という公式が成り立つ。ここでポイントなのは、

 

「行為を認めてもらう⇒肯定感が増す」に繋がることだ。

 

 ここをよく覚えていて欲しい。

 

 一方で、

「○○してくれて、ありがとう」というのは、どうだろうか?

 これも「行為を認めてもらう」ことに繋がっているとは思わないだろうか。

 つまり、

「○○してくれて、ありがとう=行為を認めてもらう⇒肯定感が増す」

 となるわけだ。

 

 

 ちなみに大人になるほど褒められることが減ってくる。

 それは積み重ねてきた人生経験があるのだから、出来て当然と見られてしまうからだ。

 しかし、ここで僕はふと思う。

 ありがとうを駆使すれば、相手を変えるきっかけになるのでは?

 

 

 誰にでも承認欲求はある。

 このSNS時代で「いいねっ!」を求めている人のなんと多いことか!(チコちゃん風)

 

 その「いいねっ!」を日常場面での「○○してくれて、ありがとう」に置き換えればどうだろうか?

 旦那さん、お嫁さん、子供、友達、上司、部下などなど

 誰かしらに影響を及ぼせるのではないか?

 

 

叱るということ

 

褒めるだけに飛びつきたい気持ち

 

 叱るというのは、世間ではマイナスイメージがついている。

 おそらく自分が叱られていい気分になる人は、ほとんどいないからだろう。

 我が身で振り返っても、注意された直後は気分が最悪だ。

 叱られて嬉しいのは、余程のマゾっ気がある人ぐらいだろう。

 

 一方で、叱る方にも非常にエネルギーが要る。

 相手にどう伝えるか、考えて話さなければならない。

 だけど、頭に血が上っていることもあるから冷静に話せない。

 頑張って伝えても、直後の相手の気分は最悪になっていることだろう。

 喜んで叱るのは、余程のエスっ気がある人ぐらいだろう。

 

 叱られる方も、叱る方も非常に疲れるのだ。

 

 そこに褒めることで伸ばせるという甘言がくれば、

 叱るから逃げ出したくなる気持ちもわからんでもない。

 でも叱るから逃げ続けると、それもまたツケが回ってくるのではないか。

 

成長の機会を与える

 

 そもそも人生は失敗から経験を得て、成長に繋げるこの繰り返しだ。

 ちょっと職場で考えてみよう。

 入社したての新入社員はわからないことだらけ。

 会社のルールに則って、何が良くて、何が悪いことなのか?

 そこで様々な経験を積んだ先輩が、指導役としてついてくれる。

 指導を受けながら、時には叱られ、間違いを気づかされ、修正を求められる。

 ちなみに役職が高くなって叱ってくれる人が少なくなると、自分で修正点に気づくしかなくなっていく。しかし、自分で出来る気づきというのは、徐々に偏ってくる。結果として、大きなミスをするまで気づけないとは、なんとも不幸な話だ。

 

 

 子供と親の関係も似たようなものだろう。

 真っ白いキャンパスみたいに純粋な子供。

 何が良くて、何が悪いことなのか? 

 悪いことをしたら叱る。

 これは、どうしたらいいのか成長の機会を与えると同義ではないか。

 つまり何をしても叱らない親は、

 子供の成長の機会を奪っているように思えるのだが。

 

 

叱ると怒る

 

 叱ると怒るの違い。端的に言うと、僕は以下のようだと思う。

 

 叱る:相手のためを思って伝える

 怒る:自分のために感情をぶちまける

 

 

 叱るというのは、間違っていると感じたことをアドバイス的に伝えて、より良くするにはどうすればいいのか? という思いやりのある行動だろう。

 怒るというのは、間違っていると感じたことを、感情的に叩きつけ、自分の気分の憂さを晴らす行動だろう。

 もちろん怒る育児などあってはならない。だけれどもそれは叱る育児を否定するものではない。この差は非常に大きいのだが、ここを勘違いしている人もいるのではないか。

 

 

おわりに

 

 やっぱり褒める育児=叱らない育児とは繋がらなそうだ。

 うちは褒める育児をしながらも、適度に叱れるようになりたいなあ

 

 

 

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